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古いものが一番上、新しいのが一番下です。

 

99/08/01 11:26 芸術の森・野外ステージ

入場ゲート

 会場は曇り空。行列を辿っていくと一番乗りはサドラー一行だった。みんなお揃いでPMF Tシャツまで着て、ホント気合入ってますね。ぼくは平服なのを突っ込まれたが、すまんなあ、そおいうの苦手なのよ。
 中からはPMFOのリハーサルが聞こえる。
 列の後ろへ下がり、M嬢と合流。天気は悪いが、M嬢は気にしていない様子。

「佐渡さんのときは晴れるから」

らしい。

 11時40分ごろ、リハーサルが終わり、開場する。時間ギリギリだなあ。入場ゲートでレインコートを受け取り、できるだけ音のいいところを確保するため、芝生席の真ん中でPA卓に近いところに陣取る。
 雨がぱらつきはじめた。

 12時、声楽アンサンブルの開演。まだ用意できてないってば。雨脚も激しくなってきた。M嬢に雨のしのぎ方を教えてもらうが、それではまったく追いつかない。とりあえず、VAIOの入ったバッグだけは濡らさないようにする。

 「山の天気」と言っていい。断続的に降ったり止んだりして先の予測ができない。観客も大変だが、雨脚が変わるたびに傘が一斉に開いたり閉じたりしては、出演者もやりづらいだろう。

 少し余裕ができたときに耳に入る歌声は胸に沁みた。しかしそれも一時は強い雨音にかき消された。

 声楽アンサンブルのプログラムが終わった。M嬢の提案で、PMFOの出番まで一時避難することにした。


99/08/01 13:50 芸術の森センター

PMFラベルのビールとワイン他

 ゲート外で焼き鳥やビールなどを買いこんで「芸術の森センター」まで降りた。自販機とコインロッカーのスペースは建物の外だが、屋根とベンチがある。同じように雨を逃れてきたのであろう人たちが何人かいた。

 雨が止む様子はまったくなかった。時折、強く降ったが相変わらずM嬢はまったく気にしていない。

「だぁいじょうぶだって。佐渡さんの出番のとき、晴れるのを何度も見てるんだから」

と彼女は言うが、正直言って信じられない。

 天気は悪いが、ここでピクニックだ。M嬢が用意してくれたチーズとワイン、屋台で買ったビールとツマミを二人で空けて、すっかり出来上がる(^^;

 17時ごろ、山を降りる人が増えてきた。札響のプログラムが終わった。野外ステージに戻った。


99/08/01 17:15 帰ってきた芸術の森・野外ステージ

 野外ステージに戻った。M嬢のいとこ二人、坂本龍一のメーリングリストで面識のあったM君と彼女、一週間、聴講生として音楽の勉強にきていたM代ちゃん(みんなMやんけ)とも合流した。

 PMFOがステージに揃った。演奏の前に、組織委員会から特別協賛の4社を表彰するセレモニーが開かれた。 雨は降りつづけていた。椅子席はもちろん、芝生席にも数千人の観客が帰らないでいた。

 組織委員長の挨拶に

「この雨の中、帰らずに聴いている聴衆にもメダルを贈るに値する」

というようなコメントもあったが、そんなリップサーヴィスよりもこの雨をなんとかして欲しかった。


99/08/01 17:40 野外ステージ・芝生席

ステージ上空

 セレモニーが終わった。オケがチューニングの後、佐渡さんが姿を現した。

 すると、芝生席が明るくなった。

 雨脚は弱まり、観客は傘をたたみ始めた。


 あ然として空を見上げるぼくにM嬢は得意げに言った。

「レニーが味方してくれるんだヨ」

 ハイドンの86番が始まった。涼しい風が吹き、ステージの上を流れる雲から青空が顔を出した。初めての北海道で、初めての風、青空。

 レニーが舞い降りた――ぼくは本気でそう信じた。


 演奏は昨日と変わりがなかった。むしろ、こんな悪条件でも演奏を聴いている観客を意気に感じたかのような演奏だった。

 カラスが二羽、ステージテントの上にとまってカアカアと調子の外れた歌声を響かせた。もうちょっと練習してから、またおいで。

 「ディヴェルティメント」のパーカッション隊の中にシンバルを握る石川さんの姿があった。

「今日のための練習だったのか」

彼女の小さな体は芝生席からでもよく見えた。何年か先、どこかのホールで彼女に会うのを楽しみにしている。

 ここからが本当のピクニックだ。ワインはもう無くなったけど(^^; 夕張メロン、場外で売ってる生ビール、さっき食べなかったツマミ、持っていたもの全部広げた。

 「ダフニスとクロエ」ではまた雨がぱらついてきた。演奏が進むにつれて雨脚も激しくなり

「やっぱり天気が持たなかったか」

と思ったが、それにしては演奏にマッチした降り方なのが不思議だった。

 アンコール。ほとんどの観客が立っていた。でも周囲の観客は迷惑だっただろうな。おれら、ムチャクチャうるさかったから。でもせっかくの野外やないか。クラシックらしくない聴き方もさせてよ。

 観客の興奮は収まらない。手拍子も止まらない。オケは次の曲を用意し始めた。

 小太鼓がオケの中心に置かれた。

 スティックを持って出てきたのはJaimeだった。

 雨はほとんど止んでいた。もう傘をさす観客はいなかった。

 芸術の森を「ボレロ」が駆け抜けた。


 花火があがった。森は闇に包まれていた。九州ならまだ薄暮の時間なのに、やっぱり日本は細長いんだなあ。佐渡さんは指揮台の柵にもたれかかり、体をかがめてテントの外の花火を眺めていた。

「これで私の夏は今年も終わり」

M嬢が満足そうにつぶやいた。


99/08/01  地下鉄車内

 ススキノで「とろ肉ラーメン」なるものを出す店があるというのでそこへ向かった。

 地下鉄の車内でVAIOを広げていると、向かいの座席に昨日サイン会で出会った15歳の男の子が友達と一緒にいた。

「また遭ったね」
「ぼく、PMF10回目なんです」
「そう。楽器はやるの?」
「ヴァイオリンです」
「PMFに参加したいでしょう」
「そ、そうですね」

電車がススキノに着いた。

彼がぼくに聞いた。

「また、来年も来るんですか」
「うん、来れたら来る」
「また会いましょう」
「君はステージの上やで。じゃあな」

 本当に、そんなことになったら愉快だ。

 


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