朝早くから空港へ。空港で自動チェックイン機にクレジットカードを入れた。予約の確認、座席指定が終わってチケット待ち構えていたら画面に出たのは今までにない質問。 「手荷物はご自分ですべて把握されていますか?〔はい〕〔いいえ〕」 11月、金属探知機の近辺でこんな抜き打ち質問をしている職員が居たなあ。テロ事件から三ヶ月近く、空港の保安検査は確実に進歩を遂げていた(^^; でもどれほどの効果があるんだろう。
大阪に着いたら日本橋へ直行。Logic Audio(DTMソフト:パソコンでMIDIの打ち込みやレコーディングができるソフト)とUA-5(オーディオI/F:マイクや楽器などの音声をパソコンに取り込むためのハードウェア)を購入。デジットで怪しい部品を買い込んだ後は食事して大阪城へ。
大阪城公園ではいくつかのバンドが演奏の準備をしていた。出来上がったところから演奏が始まったが、あるバンドでは発電機がトラブったらしく、PA(音響)の女の子が演奏を止めないように御守りをしていた。他のバンドのPAもプロの卵のようなのが揃っていたが、お客の前でこういうトラブルに遭うのがいい勉強だ。みんな頑張れ!
ホールが開場したので、中へ。さっそくPAのチェック…ん? 舞台の脇にスピーカがない。どこだ? ・・・あった。ホール備え付けのラジアルスピーカだ。うーむ、大変申し訳ないけど音に関して期待はしないでおこう。
開演前の場内は記念撮影をする合唱団のメンバーでごった返していた。客より合唱の方が多いのである。しかし客もクラシックとしては多目の4千人以上。立ち見もたくさん出ていた。
本番15分前、開演アナウンスが流れた。まだ早いなと思いながら席に着くと佐渡さんがトランペットの原朋直、女優の佐藤藍子とともに現れた。
「今までも合唱のMの部分は観客の皆さんにも歌ってほしかったけど形だけに終わって残念に思っていた。そこで今年はルビの入った楽譜を配って、場内のモニターにはカラオケのように字幕を出すのでぜひ歌ってほしい。歌詞が覚えられなかったらラララでも構わない」
こんな話をしてピアノによる練習を始めた。少ない時間で譜面の中身を説明しながら、まずは短いフレーズごとの練習。次に全部通して歌う。そこで練習終わり。もう一回通して歌いたいと思ったけど時間の都合もあるからね。しゃぁない。
彼がやりたいこと、望んでいることがおぼろげながら見えてきたのは第二部、第九の演奏が始まって合唱部分のMに差し掛かるころ、つまりその瞬間だった。
ぼくの席はスタンドの後ろから数えた方が早い席で場内の様子は良く見えた。佐渡さんが客席に振り向き、歌うよう促すと多くの観客が一斉に立ち上がり歌い始めたのだ。ぼくの周囲の観客は躊躇していたが、ぼくが立ち上がるのをきっかけに何人かが立ち上がって歌った。ぼくは楽譜を見るのももどかしくなったので目は指揮に、耳はオケに集中させて全部ラララで歌った。
予定調和でなく、歌いたいと思った観客が自分の意思で立ち上がり、「歓喜よ、美しい神々の花火よ、天上の楽園からの乙女よ!(*)」と歌う。自分も立っていながら、その光景の力強さに圧倒されてしまった。
(*) 「さく」氏の「一万人の第九」ページ(http://www.geocities.co.jp/MusicHall/1179/kasi1.html)より引用
一般的に日本人はシャイなのか、個々の判断で物事を決めると言うことに弱い。また「出る杭は打たれる」「島国根性」とも言われるように平均から外れたものに寛容ではない。だから日和見的な態度や無責任な評論家的言動が許容されたり足の引っ張り合いが横行するし、それが自立心ある者の気をそいだ結果、現在のぼくらの社会は元気を失っている。
佐渡さんが観客に演奏への参加を促すのはシエナとの演奏会における「星条旗よ永遠なれ」でも同様だし、彼が「社会」などと大きく考えているかどうかはわからない。しかし、彼は自分の畑を耕す中で「日和見的な態度ではなく、主体的に行動する」こと、そうすることによって音楽の面白さを獲得できることを言葉だけでなく音楽で具現化したかったのではないか? それは今ここで観客が立ち上がり、会場が一体となって「よろこび」を歌い上げることで実現しつつあるのではないか…曲がクライマックスに向かうまでの間、ぼくはそんなことを考えていた。
前任指揮者は合唱団に「わからなくなったら歌わなくていい」と指示していたという。一方、佐渡さんは「わからなくなったらラララでいいから歌ってください」と指示していたと合唱参加者から聞いた。一人くらいパフォーマンスが良くなくてもごまかしが利くと考えるか、どんな状態になっても一人ひとりが全力で歌い切るか? どちらが喜びを伝え、音楽に出会い、これから共にしようと心の底から思えるだろう?
はっきり言って、会場、音響などのハードは決して良かったとは思わない。拍手は響かない、第四楽章でPAが全開になるとオケの実際の音より速く耳に届くので生音とダブって音が変わる、バランスが崩れる。なによりも合唱が会場中に広がっているので音がグシャグシャになる、どう考えたって通常考えるような「良い演奏」は期待できないのだ。しかし、それをもってこの演奏会を茶番と片付ける人に音楽を、いや芸術を語る資格はない。
それを補ったのは歌える喜び、伝える情熱といったソフトだ。決して派手に飛び跳ねる指揮だけを指しているのではない(それにしてもあんなに踊るマエストロを見るのは久しぶり)。長い準備期間で佐渡総監督から明確な目的が伝えられ、それを全員が共有した結果とぼくは見た。
休憩中のロビーではまだ演奏も始まっていないのに前任指揮者と比べていかに素晴らしい演奏会になったかと語る経験者や、来年の合唱への参加を相談する光景が見られた。高尚に語る言葉がなくても、生活の中に音楽があるのは楽しい。当初の「でっかい会場でみんなで歌ったらおもろいやん」から発展して「音楽そのもののおもろさ」に出会う日としてこの演奏会は続いていくのだろう。
以下はまったく蛇足なのだが気になった点をいくつか。
場所によって演奏が聴こえづらいところがあったようだが、それもそのはずオケは第九の第四楽章以外は生音である。人数は通常のオケと同程度なのだが意外に遠くまで聞こえるものだ。合唱でオケが聴こえづらくなるところからPAが音量を補ったが、生音との時間差でズレて聴こえた。単純にディレイ(遅延効果を与えるプロセッサ)を使えば影響は最小にできたはずだが、合唱とのタイミングを考慮してわざと入れなかったのだろうか。掲示板で議論したことでもあるので他の方法を検討すると、できるだけオケに近いところにスピーカを放射状に配置するのが音響的にはベターだと思う。ヴィジュアル的には疑問だけど(^^; 音質に関しては本番開始直後は司会が鼻づまり気味に聴こえたが、時間が経つとともに良くなった。クレジットはされていなかったがアリーナコンサートでの音響補正に実績のある某社が担当していたようだ(測定マイクに社名が貼ってあった)。色付けの少ない、フラットなサウンドでよかったと思う。
観客としていく場合、できるだけサウンドも良い環境でと考えるなら席はアリーナ席か、スタンドならNブロックかAブロックのボックス席周辺を狙うのが基本か。それから、Mの合唱部分でぼくが譜面を見なかったのは客席が暗かったから、というのも理由のひとつだ。来年以降は客席を明るくするなどの配慮もほしい。
もうひとつは、司会進行。小倉智昭は出すぎず、引っ込みすぎず、さりげなく出演者を持ち上げてそつのない進行をしたが、そつがなさすぎて印象に残らない。午前中のリハを見ていた合唱団のメンバーは「リハの方が面白かった」らしい。あのような進行スタイルも一つの理想で、容易にできるものではないのは承知しているし小倉も器用な人なのでおそらく演出指示通りなのだろうが、あれだったらMBSの角淳一アナでも良かったのではないだろうか。佐藤藍子と言う手もあったと思う。
パンフレットは編集者のこの企画への情熱が惜しみなくつぎ込まれた力作。内輪受けに走らず、観客のぼくが読んでも楽しめるつくりだった。
終了後、合唱に参加していたサドラー2号さんらと京橋で打ち上げ。観客がなにを打ち上げるのかよくわからないが混ぜてもらった。感想を聞かれて「う…ん」と素っ気無い答えをしてしまったがあの状況でこんだけ↑のことが話せるわけもなく、しゃべって聞かせたい心境でもなかったのであーいう態度で失礼しゃした(苦笑)。
宿に向かう途中、そんなこんなのことを考えていて気がついたら荷物が一つ減っていた。
航空券と財布の入ったバッグを落とした!
酔いも何もかも醒めて慌てて地下鉄の駅長室に駆け込み、経由した駅のホームを探してもらったが、ない。大阪であんなもん落としたら取ってくださいと言ってるようなもの。
どうしよう。
帰られへん。
カードも止めないと。
何が入ってたかなあ。
――と頭を抱えていたら乗っていた電車の終点で駅員が拾ったとのこと。駅員に礼を言ってすぐに飛び出した。結果はすべて無事。体中から力が抜けた。
翌朝、頭の中で第九をガンガンと鳴らしながら伊丹の空港へ。「おはよう朝日」は相変わらず朝からテンションが高い。司会はどうして丸坊主になっているんだろう。まあいいか。
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